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紀元節

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紀元節(きげんせつ)は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日を祝う祝日で、明治6年(1873年)に2月11日と定められた。四大節(四方拝・紀元節・天長節・明治節)の一つ。

制定

明治5年(1872年)11月15日の太政官布告で神武天皇即位の日を紀元節と定め、翌明治6年の太政官布告第344号で2月11日に確定した。[1] 日付は『日本書紀』の「辛酉年春正月庚辰朔」を太陽暦に換算したものである。同時にこの年を紀元とする「神武天皇即位紀元(皇紀)」が公式の紀年法となった。

行事

学校では教育勅語の奉読と「雲に聳ゆる高千穂の」で始まる紀元節の歌の斉唱が行われ、宮中では四方拝に次ぐ大祭が営まれた。昭和15年(1940年)の紀元二千六百年記念行事は全国的な規模で行われた。

廃止と復活

昭和23年(1948年)7月20日公布の「国民の祝日に関する法律」により紀元節は廃止された。GHQ は建国神話に基づく祝日の存続に反対した。[2] 昭和41年(1966年)、同法の改正で2月11日が「建国記念の日」として復活したが、「紀元節」の名称と神武天皇への言及は法文に含まれていない。

占領期以降の記述との違い

占領期以前の記述・扱い 占領期以降の記述・扱い
神武天皇の即位を史実として教え、皇紀を西暦と並ぶ公式の紀年として用いた。 神武天皇は「伝説上の人物」として扱われ、皇紀は公文書から消えた。祝日は「建国をしのぶ日」という趣旨に改められた。

出典

  1. 『法令全書』明治6年、太政官布告第344号。
  2. 『国民の祝日に関する法律』昭和23年法律第178号。

関連項目