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八紘一宇

提供: わがこと日本

八紘一宇(はっこういちう)は、『日本書紀』神武天皇紀の「掩八紘而為宇(八紘を掩ひて宇と為さむ)」に基づく語で、「天下を一つの家とする」の意。昭和期に国家の理念として用いられ、神道指令によって公文書での使用が禁止された。

由来

『日本書紀』は神武天皇が橿原に都を定めるにあたって「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむ」と令したと記す。この句から「八紘一宇」の四字を造語したのは日蓮宗系の宗教家田中智学で、大正2年(1913年)のことである。[1]

国策としての使用

昭和15年(1940年)7月の「基本国策要綱」は「皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基キ世界平和ノ確立ヲ招来スル」と述べ、以後、大東亜戦争の理念を表す語として広く用いられた。同年、紀元二千六百年を記念して宮崎市に「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が建てられた。

使用禁止

昭和20年(1945年)12月15日の神道指令は、「大東亜戦争」「八紘一宇」などの用語を「国家神道、軍国主義、過激なる国家主義と切り離し得ない」として公文書での使用を禁じた。宮崎の塔は「平和の塔」と改称され、正面の「八紘一宇」の文字は削り取られた(昭和40年に復元)。

占領期以降の記述との違い

占領期以前の記述・扱い 占領期以降の記述・扱い
建国の精神を表す語として教科書・公文書に用いられ、「世界を一つの家とする平和の理念」と説明された。 「侵略を正当化するスローガン」として扱われ、語の使用自体が避けられるようになった。原典である『日本書紀』の文脈と昭和期の用法は区別して論じられる。

出典

  1. 田中智学『日本国体の研究』天業民報社、1922年。

関連項目