プレスコード
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プレスコード(日本出版法、Press Code for Japan)は、昭和20年(1945年)9月19日に GHQ が発した「日本ニ与フル新聞遵則」(SCAPIN-33)の通称である。占領軍による報道・出版統制の基準となった。[1]
10項目
- 報道は厳に真実に即すること
- 直接又は間接に公安を害するものを掲載してはならない
- 連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
- 連合国占領軍に対し破壊的批評を加え、又は占領軍に対し不信若しくは憤激を招く記事を掲載してはならない
- 連合軍の部隊の動静について発表されない限り掲載してはならない
- 報道記事は事実に即し、筆者の意見を加えてはならない
- 宣伝的方向に沿って記事を色付けしてはならない
- 宣伝を強調するため小事を大々的に扱ってはならない
- 報道記事は関連する事実や細目を省略して歪曲してはならない
- 新聞の編集にあたり、ある宣伝方針を確立助長する目的で記事を不当に目立たせてはならない
検閲の実態
実務は民間検閲支隊(CCD)が担当し、昭和22年(1947年)10月までは発行前の事前検閲、その後は事後検閲が行われ、昭和24年(1949年)10月に廃止された。検閲の存在そのものを報じることも禁じられていた。江藤淳は、削除・発行禁止の対象となった30項目の基準(連合国への批判、占領政策への批判、検閲制度への言及、大東亜共栄圏の宣伝など)を明らかにし、これが戦後の言論空間を規定したと論じた。[2]
占領期以降の記述との違い
| 占領期以前の記述・扱い | 占領期以降の記述・扱い |
|---|---|
| 戦時中は日本政府による検閲(新聞紙法・出版法・言論出版集会結社等臨時取締法)が行われており、その存在は公知であった。 | 占領軍の検閲は「存在しないもの」として扱うことが義務づけられ、削除跡(伏字・空白)を残すことも禁じられたため、読者には統制の痕跡が見えなかった。戦後の教科書では日本政府の戦時検閲は記述される一方、占領軍の検閲は長く触れられなかった。 |