公職追放
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公職追放(こうしょくついほう)は、昭和21年(1946年)1月4日の GHQ 覚書「好ましからざる人物の公職からの除去に関する件」(SCAPIN-550)に基づき、戦前・戦中の指導的立場にあった人物を公職から排除した措置である。
対象
覚書は次の7項目を該当者とした。
- 戦争犯罪人
- 職業軍人(陸海軍の正規将校など)
- 極端な国家主義団体・暴力主義団体の有力分子
- 大政翼賛会・翼賛政治会・大日本政治会の有力分子
- 日本の膨張に関係した金融機関・開発機関の役員
- 占領地の行政長官
- その他の軍国主義者・極端な国家主義者
昭和22年(1947年)1月には対象が地方政界・財界・言論界にも拡大され、最終的に約21万人が追放された。[1]
影響
政界では鳩山一郎(自由党総裁)が組閣直前に追放され、教育界では約12万人の教員が審査を受けた。言論界では新聞社・出版社の幹部が交代し、プレスコードによる検閲と相まって論調が転換した。追放は昭和26年(1951年)から順次解除され、講和条約発効(1952年4月)で終了した。
占領期以降の記述との違い
| 占領期以前の記述・扱い | 占領期以降の記述・扱い |
|---|---|
| 追放された人物の多くは、戦前は各界の中心にあって公的な言論・教育を担っていた。 | 追放によって各界の人事が入れ替わり、追放解除後も戦前の論調が公的な場に戻ることは少なかった。追放は「民主化政策」として記述され、言論・教育への影響は近年まで研究対象とされなかった。 |
出典
- ↑ 増田弘『公職追放 三大政治パージの研究』東京大学出版会、1996年。