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民間検閲支隊

提供: わがこと日本
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民間検閲支隊(みんかんけんえつしたい、Civil Censorship Detachment、CCD)は、GHQ 参謀第2部(G2)に属し、占領期の日本で新聞・出版・放送・映画・郵便・電信電話の検閲を行った組織である。昭和20年(1945年)9月から昭和24年(1949年)10月まで活動した。

組織と活動

東京・大阪・福岡に地区検閲局を置き、新聞・出版部門(PPB)、郵便部門、電信電話部門に分かれていた。検閲には多数の日本人が雇用され、最盛期には数千人規模に達した。新聞・雑誌は昭和22年(1947年)10月まで発行前の事前検閲、その後は事後検閲とされた。[1]

検閲基準

プレスコードを根拠に、連合国・占領軍への批判、占領政策への批判、検閲制度への言及、戦犯裁判への批判、大東亜共栄圏の宣伝、朝鮮人への批判、闇市の記述など30項目が削除・発行禁止の対象とされた。削除箇所を伏字や空白で示すことも禁じられたため、読者は検閲の存在を知ることができなかった。[2]

資料

CCD が収集した検閲対象資料は、米国メリーランド大学の「プランゲ文庫」に所蔵され、1980年代以降に研究が進んだ。

占領期以降の記述との違い

占領期以前の記述・扱い 占領期以降の記述・扱い
戦時中の検閲は内務省警保局・情報局が行い、伏字(○○、××)によって検閲の跡が読者に見えた。 占領軍の検閲は痕跡を残さない方式で行われ、検閲の存在を報じることも禁じられた。そのため占領期の言論は「自由化された」と長く理解され、検閲の実態が明らかになったのは講和から30年以上後である。

出典

  1. 山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』岩波書店、2013年。
  2. 江藤淳『閉された言語空間』文藝春秋、1989年。

関連項目